薄明 HAKUMEI
March 29 - April 2, 2023: Solo Exhibition "Hakumei" Sound Installation at Kabutocho AA
Supported by
Design / Shingo Kurono
Sound Design / Umeo Saito (FLEX TONE)
Sound System / SURD.inc
Space / AA
Chairs / Carlhansen and son japan
Photo / Video by Shin Yamane
死と死者、恐山、音源「薄明」について
去年の七月、青森県下北半島に鎮座する霊場、恐山へ短い旅をした。
私にとって恐山は、ずっと訪れてみたかった大切な場所だった。
中学生に上がってすぐのころ、友人の家で読んだシャーマンキングという漫画のなかに突然差し込まれる「恐山ルヴォワール」という短編に感化され、いつか行ってみたい、と思うようになった。
その短編は少年漫画には稀有な、静かな詩情に溢れる内容で、登場人物の揺れ動く感情の悲哀、死者や怨念といった精神性を描いており、多感な思春期の私は大いに感化されたのだった。
その後経験を重ねていく中で、人文学や歴史、民俗誌に少なからぬ興味を持っていた私は、イタコや恐山、下北半島の歴史や風土記を読むたび彼の地への憧憬を深めていった。
憧れ続けた地にようやく足を踏み入れた私は、薄く青みがかった水面の極楽浜の岸辺で、死と、死者について考えた。
想像していた通りの荒涼とした岩地や恐ろしく静かな渚、むせ返るような硫黄の臭気、そこかしこに供えられたかざぐるまが、風が吹くたびカラカラキャシャキャシャと寂しい音を立てながら回っていた。
死について、生きていることの不思議については昔からよく考えていたように思う。
幼いころ、大切に飼っていた亀が死んだ夜、母と一緒に葬儀をあげた。図工の時間に作った棺を持って帰り、アパートの中庭にみかんの種(のちに木になり実を結んだ)と一緒に埋葬し、私は涙を流しながらその小さなゼニ亀の死を悼んだ。当時、祖母や祖父の死に接するよりも、よほど泣いたような気がする。今もたまにふと、私が手ずから与える餌に向かって首を伸ばすその亀の姿を思い出すことがある。
母はその時一緒に泣いてくれたが、後に脳を患い、この数年の間に胃ろうと重介護を要するほとんど植物のような状態となった。母は私にとって、最も私を理解し、私も彼女を理解した、そういう存在だったように思う。今は家族の介護を受けながら半ば生き、半ば死したような表情で虚に、まるで霞か何かのようにベッドに横たわっている。
少し時間を遡り、10代が終わってすぐの頃、とても大切な友人が自死をした。彼女が今際の際、死に対してどんな救いを求めたか、または生に対して未練をもっていたのか否かは最早知る術もないが、毎年命日が近づくたび、私や彼女の家族、友人は彼女を鮮明に思い出す。
そうして亀と友人は、死をもって、うまくは言えないが私の一部となった。
私が彼らについて考える時、懐かしく朧げな何か光のようなものと一緒に、それは思い出される。彼らは時間を忘れた存在さながらに私の記憶に埋め込まれ、私を超えて私とともにあるように思う。忘れる事のない短いメロディの一節のように。
逆に母は、今も”医学的には”しっかりと生きているが、ある日を境に、私の顕在意識と夢の間でズレて漂う奇妙な存在になってしまったような、そんな気がするのだった。おそらくそれは、そうなる前の彼女が「もし意識の朧げな重介護状態になるならば、私は胃ろうよりも死を選ぶ」というような言葉を私との会話の中で話していた事実も大きいかもしれない。
亀と友人は、死してより、私のなかに強く根付いていく。
母は、生きながら私の中にいる母という存在の意味を、少しづつ確実に私と反対の方向に捻れながら滑っていく。
不思議だ、とおもう。
考えてみれば死は、死者とは、実は生きている私を形どる外縁のような存在なのではないか?
死の向こう側に行ってしまった、かつて生きて私と相互に関係を結んでいた亀や彼女らは、私のなかに強烈な意味と意志をもって存在し続けているように感じる。いや、私がそうしているのだろうか。
だから死者は、死よりも生に、生きている私に近い存在なのではないだろうか?ゆえに”生きている”とは、皆がいうほど能動的なことなどではなくて「死んでいない」という状態が一時的に先延ばしされ続けている仮の状態とも言えるのではないだろうか?例えば、無限大に広がる死という時間概念に満たされた水面に小さく浮かぶ泡のような。
生きている状態とは、常に意味と存在が現在進行形の持続状態であるというまさにその事実だけが当の意味である、ともいい得るかもしれない。
また死は、死んでいない状態の存在(生者)にとって主体的に感得することなど不可能であって、例えば劇作家のイヨネスコはそれを《誰でも死ぬ時はこの世の人々の中で最初に死ぬ》と見事に表現している。それゆえ私たちは、一種の憧れのようなものを死や死者に対して抱いている節があるかもしれない。
生という呪縛から解放された瞬間に訪れる、ある種のカタルシスを飲み込んだ概念。
まるで休符や終止符によってのみ、今まで聴いていた音が何だったのか、振り返ることでしか認識する事のできない音楽のような。
私は恐山を訪れてから半年ほどかけて、答えのない感情と思いを、音楽作品として表現した。各作品の内部では、扱われた音色、音の肌理、時間の推移とそれらの境界線が最も重要なメディウムとして扱われている。リズムや拍子は私のもっている主観的な時間のように、有機的に伸びたり縮んだりし、行きつ戻りつ現在時間を繰り返す。またあるときはノイズと楽音が絡まりあい、唐突な終止や、走馬灯のような白い歪み、いつ終わるともしれぬ持続音、恐山の寂寞とした美しい風景を写生するように収録した記憶としてのフィールドレコーディング、それらの心象風景と私自身の経験と思考の跡が、波のように押したり引いたりして消えていく様を音へと真摯に記録した。
また昨日と今日で世界が変わってしまうほどのインパクトを孕んだAIの台頭が我々に迫ってきている。AIが本当の意味で超知能に置き換わるとき、我々は人という定義を問い直さざるを得ないだろうと思う。その時我々が今考えるような「死」の概念は、もしかすると違った解釈と在り方に変化していくのかもしれない。私はそこにある種の希望と願いをもっている。そこで私の文章を自動翻訳させた英語を音読させ、それをAIの提案するアイディアに基づいた楽曲に乗せて、次の表現と思索、死と生の在り方を考える事へつなぐ点的な楽曲を差し込んだ。
<展示>
展示の音響は、立体音響とサラウンドチャンネルで空間を作りこみ、擬似的に恐山のサウンドスケープ、そして死をトレースしたこれらの楽曲に、まるで彫刻や絵画のように空間に存在するごとく直に触れてもらえるような音を落とし込んだ。
どこまで私が感じたことや考えたことが人に伝わるかなんてわからないし、自分でももう作った時のことなど忘れてしまったように思う。でもそうして今この場からは居なくなってしまったような記憶を、ふとした瞬間に隣にいるように思い出すのも、やっぱり音や音楽であることが多いのは、私にとってとても大切なことのような気もしている。